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ZERO NETWORKインタビュー

vol.1 映画監督 冨樫森さん

vol.1 映画監督 冨樫森さん

この企画では、ZERO NETWORKのワークショップがいろいろなジャンルの世界にも繋がるひとつの試みとして、これまでお世話なった方をお招きし、表現についての対談をしていこうと思います。参加者はもとより、これをご覧になった方に表現への興味をより一層持って、これからの活動に活かしていただきたいと思っています。

第1回目のゲストは映画監督の冨樫森さん。講師の中澤聖子が監督の短編映画「今夜のメニュー」に出演したご縁で、今回のいきあたりばったりの企画にも関わらずお忙しい中、快く受けて頂きました。冨樫監督もいくつかのワークショップや学校で講師をされているので、映画監督という立場からまた僕らと違った視点のお話をお聞きしました。

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「誰かに何かを見せるためにはどうしなきゃいけないか」(冨樫)

中台あきお(以後、A)よろしくお願いします。

中澤聖子(以後、S)よろしくお願いします。

A冨樫さんも何回かワークショップを開かれて作品を作ったりされていますね。

冨樫森さん(以後、T)そうね、まぁ俺が(ワークショップを)開いているわけではなくて講師で呼ばれてっていうのが長いなぁ、10年ぐらいになるかな。

Aそのワークショップは何かを作るっていうことが前提になっているんですか?それともワークショップのみですか?

Tいろんな企画のワークショップがあって、作るのが前提のものもあれば、半年くらいかけて最後にみんながほとんど主人公になっているのを撮ってくださいってのもあるし。

Sそれはすごい。

T大変、だから。主役もしくは相手役みたいなお話をいっぱい作らないといけないんですね。最後にこういう人たちだったらどういうお話になったら良いかというのを作ります。

Sワークショップではどんなことをやっているんですか?

Tそれは俺も試行錯誤してきていて、最初の頃はね、作文を書いてもらうの。大抵がね、「今まで生きてきた中で心に残っている人とのこと」を800字くらいで書いてもらう。で、それを初回にみんなの前で発表してそれが自己紹介でもある。

Sホントに起こったことを書いてもらうのですか?

Tそう、それを元にしてエチュード(即興)をしてもらって、そのエチュードをしていく時に口立てで言って(作っていく)、もしくは組によっては(脚本を)書けるやつが書いてきたり、そうじゃない人たちは芝居したり悩みながら作って、、みたいな形があるね。

A基本的に参加者の人たちが作り上げていくのを修正していく形でやるんですか?

Tそう、そういうパターンもあったし、既製の台本を使ってやったりもする。

Sそうしたいろんな形がある中で、たとえば本番に向かわないもの、何かを作ることではないものもあると思いますが。

Tただ、最終日が本番なんだよね。

S最終日?

Tそう、最後にみんなの前でいかに面白いものを発表できるようにワークショップ期間の中で変化できるか、と言うことを課題としてやっているんだよね。やっぱり期間中、自分探しばっかしていてもしょうがないわけじゃない?誰かに何かを見せるためにはどうしなきゃいけないか、っていうことを最終的に1つクリアしようと言うのは(ワークショップの目的として)ある。その中でもちろん発表じゃないことも、その過程のなかに含まれるんだけれど、でも短いワークショップでは必ずそういうことを視野に入れたほうが活性化する。

S人と関わって作っていくこと自体が面白いのですね。

Tそりゃ面白いですね。直接メッセージを発せられるわけじゃないですか。映画とか、表現って何かこう自分の大事なことを言葉でなくても伝えようとしてたりするんですよね。自己表現ってなんか言葉で言えることではないかもしれないけど、でも、それを面と向かって直接対峙してやれる場所だと思うし、俺が学校でやっているのは同じこと。

「自分が勉強させてもらう時間」(冨樫)

Aワークショップを開こうと思ったのは元々何かをしたいと思ったのか、例えば実験したいなぁとかあったのですか?

T最初はそういうのはあまりないっすよね、(依頼先から)お話しを聞いて、そういうことなら出来るかな、俺で良いんだったらやってみようかな、というぐらいで。でも、やっていく内に今話しているようなことが見えてきたり、現場ではできないことをゆっくりやれる時間でもあるし、そういう面白味を自分で見つけ出したというか、みんなに説明しなきゃいけないから、台本の読み方を自分なりに凄く考えるわけですよ。で、人に言おうとすることで初めて自分って何を考えていたかって分かるじゃないですか。そういう風に自分が勉強させてもらう時間でもあったりする。だからよく台本を読んで「ターニングポイントを自分で見つけなさい」と言うのだけれど、(自分で)「なんで前半と後半で変えたほうが良いのか?あーっ、ここを際立たせるためなんだよな」っていうのをワークショップでいざ人に言おうとして発見したんだね。

Aワークショップは発見する場所でもあったり、続けていくことでまた別の面が現れたりする場でもあったりしますね。

Tそう、そこでいろんな人の考え方を聞いてみたりする中で、自分の言葉にしちゃったりしているんですよ(笑)。だから、面白いですね。

「自分のフィールドに戻ったときにどう活かすか」(中台)

A参加者の中には「自分はこういうことがしたい」という気持ちで参加する人もいると思うのですが。

Tやっぱりね、なんかね、(参加者は)自分を変えたいんですよ、ワークショップに来るって。今までの自分とは違う人になりたいってことなんですよね、きっと。

A僕らのワークショップは技術を教えずに「自分なりに盗っていってください」というワークショップで、大体2日間でやっているんですけれど、何となく参加者が「あ、もうちょっとこういうのをやりたがっているな」という空気を感じるんですよ。

Tそれはどうしています?こういうことだから、ここまでしかやりませんって説明するの?

Aそうですね、それは説明しますね。僕らのワークショップは考えて、想像して、創作するのが一連になっているんで、最後の創作である程度のゴールはあるんです。でも、その先これをどう(参加者の)芝居につなげていくんだと言うことになると、それぞれの自分たちのフィールドに戻ったときにどう活かすか?はその人たちに預けちゃう部分なんですね。もちろん、やらせてみたいっていう気持ちもあってね。

Sでも、結果、私たちは(後になってから)「詰め込みすぎたね」って話をしてどんどん(項目を)削っていってね。

Aそう、これもあれもやってみたい、ってやりすぎた。

「作品に表されていなければ過程が良くてもダメ」(冨樫)

S実際に映画作りをする(撮影)現場とワークショップではどういう違いがありますか?

T映画作りは出来上がったもの、それが表現になる。

S作品がですね。

Tそう。(撮影)現場ってもうちょい、なんて言うか生臭いものかな、出来上がったものに対して。

S作品に向けてあわせていく、ということですね。

Tそうね、その過程ももちろん大事なんだけれど、やっぱり出来上がった作品のほうが大事。そこに表されていなければ、いかに現場が良くてもダメなわけで、だからちょっと違うものだね。でも、ワークショップとかは日々その時間が本番と言うか大事なので。

Aワークショップに来てくれる方の中に初めてお芝居をする人もいると思うのですが、そういう人たちに対するアプローチの仕方というか、心がけていることってありますか?

T基本的には同じですね。結局、台本を読んできてこの役で、このシーンをどうしたい、どうしようと言うことをやるわけだから、その人が「こうだ」と言うことに対して(こちらが)言うしかない。

Aでは、主体は演者側にある。

Tうん、2人とも同じ次元と言うかレベルと言うか、俺は俺でホン(脚本)を読んで考えてきたことがあるわけで、向こうは向こうでホンを読んで考えてきたことがあって、それをぶつけ合うわけでさ、だから初めてだからとかあんまり関係なく。

Sどの人に対しても同じように。

Tうん、「俺、そういうことを考えてなかったけれど面白かったね」とか、違うレベルではないですね。

「外側にヒントがいっぱいある」(中澤)

Tワークショップは例えばどんなことするんです?

A例えば「モノ」が先週と今週のワークショップでやっているものなんですけれど。

S素材ですね。

A「モノ」を題材にして物語のようなものを作っていく。この前やった「モノ」で言うと「紙」。ティッシュ、ダンボール、銀紙、コピー用紙をクシャッと握って(開く)反応を見たとき、(それぞれの)違う動きを観察して同じ「紙」と言う素材でも様々あるね、と。そこから創作に繋げていきます。お芝居や表現には答えがないと言われますが、この場合、目の前に答えがあるんですね。だから今回はまず真似てみる。もちろん、人間には骨格があるから、どこか転化しなければならない訳ですね。それはリズムや呼吸かもしれない。参加者にそういうところから始めてもらうと、だんだんその様子がキャラクターに見えてくるんですよ。銀紙だったら凄く我慢している人に見えたり、ダンボールだったらぱっと開く形が、感情がすぐ表に出る人に見えてきたり。

Tほう。

Sそういうことを自分で芝居をするときに役作りに使います。日本では多くが自分の内側(の感情)からや、自分の経験からどうにかひねり出そうとすることが多いと思うんですが、(私たちが学んだことは)そうではなく、(自分の)外側にヒントがいっぱいあるよ、という考え方かな。「モノ」の反応を使って、「あ、こういう風にも見えるかもよ」とか、いろんな役に挑戦できるよ、という。

Aだから逆に、自分の中からどんどん出さずに外からのヒントを使っているので、言い方は悪いかもしれないけれど、若干無責任になれるんですね。なんていうか「モノ」になるって。

Tへぇ。

S遊ぶ感覚かもね。だから本当はいろいろやりたくて。お芝居は反応が基本じゃないですか。いろんな「モノ」の反応を見て、「これは違うね」「これはこう見えるね」ってやってみる。

Aそう、反応をやることが大事だったりする。観ている人が一緒にその世界の旅をしていれば良い。その世界を信じられるように(僕らは)創造し、(相手に)想像させて、体感してもらおうってことなんで。ワークショップが終わって外に出たら、「あっ、あれ面白いな」という新たな視点に気づいてみることを、自分で探してみることが目的なんです。

「身体と心はとても近いところにある」(中台)

Tそれはもともと中台さんと(中澤の)2人で考えたの?

Sこれはフランスのルコック(国際演劇学校)の教え方がそうなんです。
最初の授業では本当に必要な時にしか話してはいけないっていう(シチュエーション)のをやる。「芝居は反応で出来ていく、その上で必要なときに言葉が出てくる」って。

Aだから何語でも良いんです。僕らが(ルコックに)入ったときは10何カ国の人がいましたけど、僕は基本的に日本語で演じてましたね。なぜなら、必要なセリフだったら何語でも分かる。

Sそれは身体がついていってるからね。

A好きなら「好き」、嫌いなら「嫌い」で、すぐ分かる。ベルギーの先生(ラサード)にもよく言われましたね「効果的なセリフを使え、説明はするな。演技をするためにその身体はあるんだろ」って。

S「行動しろ。それでリアクションをとれば良い」って(いう教えなんです)。

Tでも話しを聞いているとパントマイムの技法にも聞こえるね。

Sパントマイムも習いますね。基本的に身体ひとつで表現しようってことなので、技術的に必要ですね。

Tつまり、メソッド(演技方法論)とは対極じゃない?内的なことじゃなくて外側から作るっていう。内面から(演技が)始まるっていうメソッドとのギャップはなかったですか?

Sそれは、内側(感情)がないとやっぱり成立しないんですね。

Tそれはどういう道筋で繋がるの?

A僕は身体と心はとても近いところにあると思っていてですね、演じるときに悲しいときのことを思い出して感情を1から作り直すより、その(悲しい)ときの身体の記憶、呼吸や姿勢や形が、感情の記憶より鮮明だったんですね。だから悲しかったときの身体の体勢を作っていくと感情も湧き上がって来る。身体から作って感情が後からついてくる感じですね。で、それに気づいてからは、いわゆる感情待ちみたいことはなくなりましたね。
そこ(感情と身体が)がバラバラだとどっちにしろできない。おそらく求めるところは一緒なんだと思う。

Sそう、向かう先は一緒でそこに向かうアプローチが違う。私が向こうにいって感じたことは、身近なものを取り扱うから、まず自分が(周りを)よく観察するようになる。日常が私の中で身近になって、とても豊かになった。
外側(身体)から学んだけれど私は逆に内側(感情)の繊細な部分を感じるようになった。内側が豊かになったというか。
それまで芝居をやっていたときは、自分の中(の経験)からだけ出していて無理があったのが、「これでもいいのか、こっちでもいいんだ」とふわっと抜けたというか、自由になった。

「現場にくるまでにやるべきこと」(冨樫)

Tそんな風にアプローチする人たちっているのかな?

S日本に?

T日本に。

Sたぶんいないと思う。

Tいないよね。

Aだから毎回ワークショップの話をするときにすごくわかりづらい。例えば「風」やってとか。

Sあやしいんですよ。

Tわかるわかる。もしかして、中澤、いっちゃったか、と一瞬思ったよ。(笑)

A,S(笑)

Tでも、その過程は問わないというか、相手が出してくれたものが全てで、良ければ良いわけであって。ただし、それをできない子に、俺たちは精神的に追いつめてその子が(精神的に)行き着くところまでいくことを求めちゃうんですよね。
たぶん、それとはまったく違うアプローチの仕方があるんだろうなあ、と今聞いてて思った。どうしても精神的なことからしか来ないような気でいたかなあ、と。できないことをその子の気合いの足りなさみたいなところに求めてしまう。

A僕らも表現するときに身体がいかにうまいか、ということだけで見られるかといったらそんなことはなくて、技術が良いだけだと技術を見ちゃいますし、(技術が)すごいことを感じさせずに気持ちの面まで(お客さんが)入ってくるのが、おそらく表現というものだと思います。

Sそして、見ている人たちが(その世界を)信じられるか。

Aどういうようなアプローチをしていくかというのはそれぞれあると思う。1番大事なのは自分の身体を通っているということ。心情から入れる人もいれば、まず身体を知ってみよう、という人もいる。どんな役をやろうとしても、どうしても違う自分にはならない。自分の形は変われないかもしれないけど、自分の新しい面をだす、それを外側から引っ張り込む。そういうアプローチ方法もあるんじゃないかなあ、と。

T聞いてて、ワークショップというよりは学校でやるべきことですよね。ワークショップでも学校でもいいのだけど、何がいいたいのかっていうと現場ではそれは教えられないんですよ。

Sそうですよね。現場はもう創るところですもんね。

Tうん。「マグマを想像して怒ってごらんそうすればできるから」という風には現場ではありえないじゃないですか?

Sやっぱり、(表現の)前段階、本当に根っこのところという感じです。

Tうん、現場にくるまでにやるべきこと、という感じだな。

A俳優が台詞をしゃべるまでにどれだけの過程があるのか、ということを僕らは学んできたので、そういうところをワークショップで取り上げます。「自分の身の回りを掘り下げてみよう」と。それが準備になる。もちろん、歌がうまくなりたいのだったらそのためのレッスンを受ける、というのもいいですけど、その人自体がどこで演技を学ぶのかというと、おそらく日常だと思う。常に非日常を求めてアプローチすることより、日常をどんどん体感して耕していく。それによって非日常の、たとえばドラマの中でも発揮できることが多くなっていく。その本当に前段階というところを僕らはやっていく。

Tとってもおもしろいんだな。どうしてもうちらはね、精神論を言い続けるしかないところがあって、現場は必ずそうなるんだよ。「もっと出せ。あなたが持っている限界まで」だから持ってるすべてというのが限られちゃうから、その前段階が必要なんだな、と聞いてて思った。それがないと出しようがない訳で。

Aそれに、(自分から出し続けると)その人が自分を傷つけていっちゃう。

S本当にひねり出すんですよね。

Tでもそれは限界がありますよね。たぶん今、日本は精神的に追い詰めるような教育法しかないと思う。役者にたいして。

Aなので僕らはある意味やらなければいけないことだと思っている。向こう(ヨーロッパ)のものをそのまま持って来るのではなく、日本で参加者とどうやったら体感できるのだろうということを探りながら、レッスンではなくワークショップいう形にして。

S一緒に体感して。

A一緒に考える。

Sそして研究してみようと。

Tなるほど。

S冨樫さんにとって映画を創るときに大切にしてることはなんですか?

Tそれは、、人と創るってこと。友達と、信頼する人と一緒に、かな。すげえ大事なこと。映画がおもしろいのは、必ず自分が‘このようなもの’という想像、想定して、なんとなく最初に描いていた図と必ず違うものができちゃう、というのがおもしろい。超えたというか、想像しなかったというか、何か別なものができちゃうのがおもしろい。

Sそれぞれが出し合って創っていけるってすごく幸せな場所ですよね。私もそれをやっていきたいなあ。

Tなんか映画監督がすべて決めて1人で制御しているようなイメージが世間一般にあるけど、そうじゃないですよね。もっとみんなでやってるんですよね。

写真: 行貝チヱ

冨樫森監督

プロフィール

冨樫森(とがし しん) / 映画監督

1960年生まれ。山形県鶴岡市出身。
県立鶴岡南高等学校卒。立教大学文学部卒。
98年、相米慎二総監督のオムニバス映画 『ポッキー坂恋物語・かわいいひと』 の一編を初監督。
01年、『非・バランス』 で長編デビューし、ヨコハマ映画祭及び日本プロフェッショナル映画大賞で新人監督賞。
以後の代表作に『ごめん』 『星に願いを。』 『鉄人28号』 『天使の卵』 などの作品がある。
08年の 『あの空をおぼえてる』 がフランスKIN OTAYO映画祭グランプリ「金の太陽賞」を受賞。

対談場所協力 :

下北沢イル・カントゥッチョ (ILCANTOUCCIO)東京都世田谷区北沢2-19-13 斉藤ビル2F 03-3414-0456

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